宮城県の塩にまつわる歴史と人物について

宮城県といえば何を思い浮かべますか?ずんだ餅?牛タン?国宝の瑞巌寺?日本三景で有名な松島?

実はあまり知られていませんが、宮城県と縁が深いものとして塩があります。宮城県の製塩にまつわる歴史と人物をご紹介します。

宮城県の塩の歴史

宮城県の塩の歴史

宮城県で製塩が始まるきっかけとなったのは、1611年12月2日に起こった慶長奥州地震津波といわれています。2011年の東日本大震災と同規模と推察されており、沿岸部に甚大な被害を与えました。当時は伊達政宗が藩主であった時代。政宗は様々な形で復興に向けた政策を行いました。

そんな中、川村孫兵衛重吉という藩士が動きます。長州藩の出身ですが、傑出した土木技術を持っており、政宗が召し抱えた人物です。

川村孫兵衛重吉は、農業適地にするため、仙台城下や周縁部の河川・河口などの改修整備をしました。そして、復興策として藩が描いた製塩構想に基づき、川村孫兵衛重吉は、毛利家中だった縁者、伊藤三郎左衛門と弟利助・関佐左衛門の3名を呼び寄せました。

元和6年(1620年)8月、仙台藩内で使う塩に不自由していたことから、領内で御塩場にふさわしい土地を見立てて、開発を命ぜられました。まず、鳥屋崎(現・岩沼市玉浦、仙台空港の南側)を手始めに開発した所、良い御塩場になり、御塩が沢山できたのです。

その後、宮城郡高城・東松島市深谷大曲その他浜々を開田し、藩主の悲願を達成しました。

宮城にある浄土真宗の寺 浄土真宗が解説~塩竈神社に伝わる伝承~

宮城にある浄土真宗の寺 浄土真宗が解説~塩竈神社に伝わる伝承~

塩釜市にある塩竈神社は、多くの人々から厚い信仰を集める大きな神社です。主祭神として塩土老翁神を祀っています。

塩土老翁神は、東北地方を平定するためにやってきた鹿島・香取の神の道案内をしたといわれています。その後、役目を果たした鹿島・香取の神は元の宮に戻りましたが、塩土老翁神は塩竈の地に残り、人々に製塩法を教えたとされ、「塩釜」という地名の起こりにもなっています。

塩竈神社の末社である御釜神社は、主祭神である塩土老翁神により、製塩が行われたとされる場所に建っています。また、藻塩焼神事という神事が執り行われており、古代の製塩法を今に伝えています。

二つの逸話は少し似ていると思いませんか?孫兵衛の逸話と塩竈神社の関係性は定かではありません。しかし、塩釜の地域の人々が、製塩を教えてくれた人物に感謝をしていたという表れなのではないでしょうか。

松島で寺をお探しなら、浄土真宗「真宗大谷派」での仏式葬儀を執り行う願立寺までお問い合わせください。宮城県の松島町で370年以上にわたり、浄土真宗の法灯を伝えてきた寺です。葬儀や法事などの儀式、納骨、墓地管理、法名授与などを行っており、年間行事やお供えものなどのご相談も親身になってお答えいたします。一人ひとりの心に寄り添い、ご納得いただける供養を執り行います。寺の利用をご検討の際は、安心して願立寺にご相談ください。

松島にある浄土真宗の寺なら願立寺

経営主体 宗教法人 願立寺
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
代表者 住職 磯崎 正信
住所 〒981-0212 宮城県宮城郡松島町磯崎字蟹松14
電話番号 022-354-3552
メールアドレス misozaki1@me.com
URL https://miyagi-ganryuji.com